作戦決行は午前二時

3 マライヒ・バンコラン−12/25 AM2:00

 

「もう眠い?」
「いいや」
 未だ熱い吐息をバンコランの露わな肩に寄せた唇から漏らしつつ、マライヒが問う。とりあえず事後の一服、と葉巻を咥えたバンコランの手が、ライターを探している。情事の後の、欲望の光を残した目が自分を見て少し細くなるのが、マライヒは嬉しくてしょうがない。この時ばかりは性懲りもなく浮気を繰り返す彼の愛を、実感できるから。
 
「今朝は結局、ゆっくり寝させてあげられなかったから。午前中は起こさないでおこうと思ってたんだけど」
 少しずつ収まってきてはいるが、まだ上気して赤みの残る頬と快楽に潤んだ青い瞳に目をやりつつ、バンコランは咥えた葉巻に火を付ける。昨夜、二人が眠りに落ちたのは空が白み始め、夜も明けようかという頃だった。
マライヒは習慣でいつも通りフィガロの起きる前に目を覚まし、そっとベッドを抜け出した。バンコランは、さすがに疲れが溜まっていたのだろう。普段仕事に出かける時間になっても、眠っていた。
やがて起きてきた息子にマライヒは、
「パパはお帰りだけど、まだ眠ってるから邪魔しちゃダメだよ。疲れてるんだ」
と、言い含めて平生より熱心にフィガロの相手をしてやることで息子の意識を父からそらし騒がしくさせないことで、極力バンコランの休養を守った、つもりだった。 
「いつもよりは多く眠った。疲れもとれた」
「そう?」
 結局、十時過ぎに起きてきたバンコランにマライヒが二度寝を促すより先に、フィガロが久々に顔を見せた父に歓声を上げて飛びつき、離れなくなってしまったのだ。
「今日は一日家でフィガロと遊んだだけだしな。大丈夫だ」
 そう答えつつ美味しそうに煙を吐き出す端正な横顔を見上げ、マライヒは嬉しくなって思わず笑い声を漏らした。
「何だ?」
「あなたがいると、いいなあと思って」
 言いながら、マライヒはバンコランの肩に柔らかな頬をすり寄せる。上気は随分収まったようだが、その頬は未だほのかに赤い。触れたら普段より熱いのだろうか。知りたくなって、バンコランは唇を寄せてみた。弾力のある、自分の唇より少し冷たい頬。味などないはずなのに、甘い気がする。
「あ」
「何だ?」
 葉巻をもみ消し、唇はそのまま首筋に滑らしながら問う。色が白く表皮の薄い少年の柔肌は、そうきつく吸わずとも唇を寄せれば容易く赤い花が咲く。バンコランは行為の最中の上気しきったマライヒの赤い頬と目元を思い出して、普段はあまり付けないキスマークをいくつも首筋に散らした。
「やだぁ・・・」
「・・・なぜ?」
「そんなところにつけたらみえちゃう・・・」
「他の場所ならいいのか?」
 くすぐったいのか、気持ちが良いのか、身をよじるマライヒを意に介さず、首筋から二の腕の内側へ、肌の柔らかい所ばかりを探って唇を滑らせては、軽く吸い付く。そのマシュマロじみた感触と、マライヒの愛らしい反応と、白い肌に自分の意のままに刻まれる赤い跡に、バンコランは溺れかけていた。
「スカーフでも巻いておけ」
「・・・んんっ」
 胸元をひときわきつく吸い上げれば、肌同様マライヒの声も色づく。弱々しい抵抗を見せていた手の力がゆるみ、バンコランの背に流れる黒髪を探り始める。
「ああ・・・」
 唇にキスを落とし、細い顎の先から小さな喉の骨を通って、鎖骨を辿る。唇で感じる骨の細さに、いっそこの子を一片たりとも残さず喰らい尽くして、自分の身の内に収めてしまえればこの乾きは癒えるのかと、バンコランは思う。
 長い時を共に過ごし、幾度抱いたか知れない、隅々まで知り尽くしたこの華奢な体をした子にどうしてこうも焦がれるのか。愛を交わすとき、執拗に彼を責めて自分を欲しがる言葉を幾度も引き出すのは、己の独りよがりの欲望では無いことを確認したいからだと、彼は自覚している。
快楽に震えるマライヒの体を宥めるように撫でながら、所々を摩り上げ擽り煽り立てる。唇は鎖骨から、薄いけれどきちんと筋肉のついた胸へ。マライヒの好む箇所のすぐ近くに、丹念にキスを落とし、跡を付けていく。
「いやぁ・・・」
「いや、か?」
 ついさっき互いに達したばかりだというのに、熱を帯び始めた場所を自分の腿でなで上げつつ問い返すバンコランを、マライヒは熟れた瞳で見上げる。まっすぐな視線を返すバンコランの目にも、同じ欲望が滲んでいるのを見つけて、マライヒの思考に靄がかかる。
「だって・・・いじわるばっかり・・・」
 ぽそりとつぶやいて目を伏せたマライヒに、バンコランは苦笑する。
 ここにいるのは本当に、ほんの十分前まで自分にしがみついて淫らな声を上げ腰を揺らしていた子だろうか。まるで、色恋沙汰などろくに知らないうちに迎えた初めてのベッドの上にいる様に見えるのに。
「意地悪などしないだろう?」
 彼の様子があまりに可憐で頼りなく、つい抱き寄せて頬にキスをしつつ言ったバンコランにマライヒは、
「うそつき」
と、可愛らしい恨み言を言いつのる。それがまた、バンコランの恋情を募らせるのだから手に負えない。
「うそなどつかん」
「うそばっかり」
「何だ、それは」
 互いに体を探り合い、肌をすり寄せ合い、キスを交わしながらの言い合いは、すぐに睦言に変わる。
「でも、許してあげる」
「うん?」
「あなたのお誕生日だから」
「・・・ああ」
 日付はとうに変わっていた。
「お誕生日、おめでとう。それと、メリークリスマス。今年も一緒にいられて良かった。ありがとう」
 祝福と感謝の言葉と共に、マライヒがキスを贈る。バンコランはそのまま、より深いキスを返す。マライヒが、あえかな声を漏らすまで。
「・・・あ、・・・ん。や・・・、バン、待って・・・」
「・・・なんだ?」
「今、何時・・・?」
 このまま、快楽と愛情に溺れていきたいのを堪えて、マライヒが問う。マライヒの顔中にキスを降らせながらベッドサイドの時計に目をやったバンコランが、午前二時だと時間を読んでやる。
「大変!忘れるところだった!」
 と、バンコランを押し退けんばかりの勢いでマライヒが起き上がる。
「どうした」
「プレゼントだよ。フィガロの枕元に置いてこなくっちゃ」
「ああ」
 明日は、日付的にはもう今日だが、クリスマスの朝。幼子の枕元にプレゼントが無くては、それこそ大変な騒ぎになる。M16たっての腕ききバンコラン少佐にも、事態の収拾は困難を極めるほどに。
「今日一日あなたに遊んでもらって、早々と寝たから明日はきっと早起きするよ、あの子。今のうちにこっそり置いてくる」
 床に脱ぎ捨てたガウンを拾って裸身にまとうマライヒに習って、
「私も行こう」
と、バンコランは幸せな役目を分かち合うことにした。
 幼い息子の枕元に、聖ニコライに成り代わってプレゼントを置く喜び。
 バンコランもマライヒも、共に己が味わうとは全く予期していなかったものであり、彼らにとってはその喜びこそ、クリスマス最大の天からの贈り物。普段は神の存在を信じもしない二人も、この夜ばかりは、天使のような我が子を与えたもうた奇跡に感謝する。 
 
 一ヶ月も前からクローゼットに隠しておいた包みを抱え、二人は一年でもっとも心躍る作戦を決行した。
 
 
4 バンコラン−12/26 AM2:00

 

 

 久しぶりに、深夜に目を覚ました。
 
 仕事柄、眠りは浅い。
しかし、夜寝入った後、朝になる前に目を覚ますことはあまりない。特に、自宅のベッドでマライヒを抱いて眠る夜は。己の住処で伴侶を抱いて床についている安心感がそうさせるのだろう。そのことに気付いたとき、バンコランは驚き、少々苦い思いを抱いた。スパイ稼業の自分にとって、好ましい変化だとは思えなかったからだ。
しかし、マライヒと長い時を共に過ごし、様々な経験をするにつれて、そうではないと悟った。彼の傍らで眠っているのは、ただ愛しく美しいだけの少年ではない。彼も、ある意味自分と同じく、いや自分以上に命の危険をいくつも乗り越えて「ここ」へ辿り着いたのだ。
二人は共に、何らかの危機や異変が迫ればきちんと目を覚まして対処することが出来る。バンコランが枕の下に銃を忍ばせて眠るのと同じく、マライヒもまた手になじんだナイフを頭の下に敷いて眠る。
 
わたしたちは、人生の伴侶なのだ。
 
愛を交わしているときや、彼の美しさ愛らしさに目を奪われたとき同様、生きる姿勢やテクニックが同じ方向を向いているのを実感したとき、バンコランはマライヒと共に生きていく自分を実感し幸福に思う。手を取り合い、背中を預け合い、支え合い、力を合わせて生きていく相手のいる幸福。マライヒに出会い愛し合うまでは、己の人生にあるとは思っていなかったもの。そればかりか、自分に「息子」まで与えた、まるで聖母マリアの様な、神の奇跡をその身に受けた少年を、眠りから覚めたばかりの緩やかな思考でバンコランは見つめる。
 
すうすうと健やかな寝息。ゆるく伏せた瞼。暗くて今は見えないけれど、光が当たれば頬に濃く影を落とすのだろう睫。優美なラインを描く鼻梁。今夜も柔らかなことを幾度も確かめた唇。小さな顔を縁取る、豪華な亜麻色の巻き毛。そのどれもが、自分にとって何にも替え難い宝。
 
今朝、日付ではもう昨日のことだが、フィガロは枕元に一年間よい子だったご褒美にサンタクロースからのプレゼントを見つけた。ずっと欲しがっていた携帯ゲーム機。よほど嬉しかったのだろう。久々に家族三人で外出をしたときにも、今で夕食後にクリスマスの絵本を読んでもらっていたときにも、肌身離さず持っていた。その上、マライヒに今夜だけだよと念を押された末、ベッドにまで持ち込んでバンコランの笑いを誘った。
「宝物なんだね」
 フィガロを寝かしつけて戻ってきたマライヒも、苦笑いしていたことを思い出す。
 
 片時も離さず、眠るときにはしっかりと抱きしめてベッドに入る。
 マライヒと恋に落ち、二人で暮らし始めた頃の自分と変わらない。そう気付いて、バンコランは我知らず今日何度目かの苦笑を漏らす。
「・・・ん」
 大きな声を立てた訳ではなかったが、その気配にぐっすりと眠り込んでいたはずのマライヒが身じろぐ。
 二人がベッドに入ってからはもう数時間経つが、眠りに落ちてからはまだ一時間程度だ。ここで起こしてしまうのは可哀相で、バンコランはマライヒを抱き寄せ安心させようと額に口づけた。
「・・・・・・バン?」
「まだ夜だ、眠れ。ここにいる」
「うん・・・」
「・・・・・・いい子だな」
 目を開けないままあどけなく頷いて、再び眠りに引き込まれていくマライヒの顔に、安心感からか微笑が広がる。自分が傍らにいるだけで、幸せそうに微笑む少年。その少年の存在に、救われ助けられている自分。
 かつての、マライヒに出会うまでの自分ならきっと、鼻で笑うだろう「幸福」な光景を、そこに辿り着いた自分とマライヒを、バンコランは誇らしくすら思う。
それぞれに、過ぎるほどに酷な人生を、己の力で戦い抜いて、このささやかな幸せに辿り着いたのだから。
 
 自分の腕の中で、安心しきって眠りに落ちていくマライヒ。背中をゆっくりと撫でてやりながら、バンコランはいつだったか彼に子守歌をせがまれたことを思い出した。あの時彼は、自分をかばって負った怪我で、病院のベッドの上にいた。
フィガロには何度か歌ったが、あれ以来マライヒの前では歌っていない子守歌。
マライヒの背を撫でる手はそのままに、低く小さな声でバンコランは歌い出す。
 
 穏やかで甘い眠りの中で、彼を幼い頃に戻し守ってやることが出来ればいい。
せめて、そんな幸福な夢を見せてやることが出来たなら。
日付は変わってしまったけれど、聖夜最後の贈り物がマライヒの夢の中に届くことを、祈りにも似た思いでバンコランは願った。
自身も眠りに落ちつつ、幼いマライヒの笑顔を夢の中に探しながら。
 
<終>

 

 

 
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